仮説・論説 487 徳の力の勧め
- white-eagle1958
- 2月20日
- 読了時間: 3分
2025.02.20
人生においてどうにもならない時が在ります。
私にも在りました。故郷で起きた事です。
2003年10月3日(私はこの日の事を生涯忘れないでしょう)、私は共に生きて来た妻を交通事故で失いました。(でも、真実は交通事故では無かったのではないか?と疑っては居ますが・・・)その日から私の人生は一変しました。更に追い打ちをかける様に2004年9月30日、唯一の兄妹である妹を病院にて失いました。突然死でした。妻の一周忌の準備のさなかにそれは起きました。葬式が10月3日になり、こんな事が在るのかと茫然とした事を覚えています。(私はこれも只の病死ではないと疑っています)
相次ぐ肉親の死と会社を廃業に追い込まれた事に、追い込まれました。
それだけではなく、家族や地域住民との間にも壁が出来たように思え、また正体の分からぬ巨大な悪意の攻撃に晒されたのです。
人間不信に成りました。誰を信じればいいのか、何を信じればいいのか、まったく分からなくなったのです。気が狂いそうな日々を送り続けました。
まさに絶体絶命の崖っぷち。どうすればこの状況から抜け出せるのか?
その事だけを考え続けました。その時です。在る考えが浮かんだのは・・・
それは、人は嘘を付く、しかし自然は決して嘘を付かない、と言う事でした。
それは私にとって、闇の中に差し込む一条の光と成りました。
それ以後、私の考える基準が全て大自然になりました。私が自然の法則、自然の法則と繰り返すのは、この経験の故です。
絶体絶命の崖っぷちに立って居た私は、これ以上悪因悪果を作用させる事が出来なくなりました。作用させれば崖から落ちる事が目に見えていたからです。
善因善果を積み重ねる事しかできない。そう思いました。不安が無かったわけでは在りません。誰も教えてくれませんでした。効果が在るのかどうかも判りません。やって見る他は無かったのです。悪因悪果は自分にとってマイナス、しかし善因善果は自分にとってプラスに作用するはずだ。そう思いました。藁をも掴む気持ちでした。
それから押し寄せる巨大な悪意、それを徳の力で支え、押し戻す。その作業を始めたのです。そうしたら・・・
崖っぷちから抜け出す事が出来ました。
今、私はこう思っています。
「どの様な困難な状況でも、徳の力で突破出来る」と・・・
徳の力は相手がどの様な強者の横暴にでも或いはどの様な難問にでも対処できると言う自信をくれました。おこがましいようですが今の私には恐ろしいものが無くなりました。
皆さんにも伝えたい。皆さんが絶望の淵にあってもそこから抜け出す手は在るのだと言う事を・・・徳の力をフル活用すべきです。
万歳!徳の力!
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